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NYで中古衣料の再利用ファッションウイーク 22日から

NYで中古衣料の再利用ファッションウイーク 22日から

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55967340S0A220C2000000/

【ニューヨーク=河内真帆】米ニューヨーク市で衣料品の廃棄を減らそうと訴えるファッションイベント「リ・ファッション・ウイーク」が22日から始まる。28日までの一週間にわたり、市民に衣料品の再利用を促すアドバイスやノウハウを提供する。同市では毎年20万トンにのぼる衣類、靴、アクセサリーがゴミとして廃棄されており、削減が急務になっている。

ニューヨーク市衛生局が主催し、環境問題に取り組む非営利団体、専門家などを集め、市民向けに廃棄削減の手法を提起する。ブルックリン地区の数カ所に中古衣料の交換場所を設置、リサイクルショップから集めた衣料品アイテムを利用したファッションショー、仕立て直しのワークショップなど体験型のイベントも開催する。引用以上。

 

衣料品の再利用リ・ファッションだそうです。衣料品の再利用と言えば最古のものはお坊さんの袈裟かもしれません。ゴータマシッダールタ、つまり釈迦が生きた2500年前のインドでは、多くのバラモン教の人々が次の輪廻転生でのカースト上昇や悟りを目指して修行をしていました。釈迦もその一人ですが、その釈迦が悟りを得て弟子を引き連れて原始仏教の土台が完成されていき、釈迦の弟子たちも修行を始めた時に所有して良い財産は衣三枚とつまようじと言われており、つまり袈裟が三枚とつまようじの所有だけ許されていました。その袈裟というのも元々は掃衣と言い、死体を包む布を引きはがして作成したものを掃衣と言いました。死体を包んでいた布であるだけに、死体から体液や糞尿が染み漏れているので黄色い色が染みついてしまい、洗っても落ちない事から本来袈裟は黄色いものとなっていました。

釈迦の死後に、残された弟子たちはその教えを確認し合う結集という集会を定期的に行っていたのですが、釈迦の死後100年程度でその教えの解釈や認識に差が生じてしまい、そこで原始仏教から部派仏教へと変化していきます。部派仏教はさらに南伝と北伝で大乗仏教と上座部仏教に分かれ、大乗仏教が中国に伝来していきます。この時に達磨太子が中国へ渡って禅宗を開きました。その時期は紀元前や紀元後であるなど様々な説がありますが。その中国に渡った仏教は、当時すでに中国に存在していた儒教や道教と融合して変化しながら日本まで伝来しました。西遊記で有名な三蔵法師は、中国で仏教を学ぼうとしましたが、その当時の中国仏教はすでに様々な解釈や宗教に融合されてしまっていたので、これでは本来の釈迦の教えはわからないと考えた玄奘三蔵は天竺行きを行いました。日本に仏教が伝来した時代はその後数十年しかたっていないため、日本に伝来した仏教も、伝来した時点ですでに釈迦の教えからずいぶん乖離していたのです。

そのため日本では様々な色の袈裟を着る僧侶が居ますが、それは本来の姿ではなく、仏教の堕落、或いは誤認識と言えます。16世紀に織田信長が比叡山を焼き討ちにしましたが、その理由もここら辺にあるのかもしれません。本来宗教とは仏教だけでなく、どのような宗教でも人間に欲望がある限り、歴史の流れの中で宗教は利用され変化し堕落していくものです。キリスト教もカトリックのトップは教皇になっているために、その教皇を決めるコンクラーベが行われるまでの経緯では様々な権力闘争が行われてきたわけですが、キリストは「神の元に人は平等である」と教えたにも関わらず、キリストの死の直後に教皇という神と人の中間的な地位を作ってしまって、キリストの教えに反しているわけです。その後の法王庁も壮絶なもので、プロテスタントとカトリックが分裂する事になった免罪符を発行してお金儲けを行ったり、魔女の鉄槌という本を発行して、このような者が魔女である。と魔女狩りを始めたり、兄弟宗教であるイスラム教に十字軍を派遣して簒奪略奪を繰り返すなど、政治が宗教を利用するとたいがいろくな事になっていないため、どのような宗教を信仰するのも自由ですが、何事も初心を忘れずにいて欲しいものだと思いますが、このリ・ファッションの信念というのは上記で解説した原始仏教と同じ志向であると言えるでしょう。つまり「もったいない精神」です。仏教では「求めて得られない事は苦である」という教えなので、そもそも求めるなという話で欲を禁じたわけです。それに比較しても「資源を餓鬼のようにあるだけ求めるな、再利用すれば求めずに済む」というのはこれらの精神に近いものがあるのではないかという気もします。飽食の時代、何もかも物質が溢れた時代こそ、メンタルの強化、哲学を持って生き方を決めるような考え方が必要かもしれません。