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デザイナーのトミー・ヒルフィガーが考えるファッションの未来

デザイナーのトミー・ヒルフィガーが考えるファッションの未来

「共感できるブランドであることが私にとってはとても重要なこと」と、トミー・ヒルフィガー(Tommy Hilfiger)がロンドンで行われた2020-20年秋冬コレクションについて語った。「ブランドのDNAを保ちながら、新しくしていく。それがパーフェクトなバランスだ。だから私は常に、自分たちの本質を捨てるのではなく、本質に何かを付け加えて、ブランドとして次は何かを考えている」

引用以上。

ファッション哲学というものも面白いものである。原宿などへ行くとその時その時の若者たちが、中高年には理解が難しいファッションを楽しんでいるのが戦後の日本では長らく続いてきた。「あなたにとってファッションとは何ですか」と問われれば、多くの人が「楽しむもの」や「自分を魅力的に見せるもの」と答えるだろうと推測するが、どう見ても理解不能なファッションがあるのも世の常であり、そういう個性的、悪く言えば変態的なファッションというのも業界を楽しむ上で重要である気がする。

今の中高年世代の人はご存じの人も多いのではないかと思うが、奇抜なファッションの有名人と言えば小説家の志茂田景樹が有名ではないだろうか、彼のファッションを理解できる人は全人類の1%もおそらくは居ないでしょうと感じてしまうが、彼の価値観、彼の世界ではあれが最高にかっこいいという自己満足の精神が働いていれば、ファッションというのはそれで充分成立するのかもしれない。

私が学生だった頃も変形学生服やパンツを腰で履くという当時の若者独特の感覚が流行った事があるが、つまり世代や趣味や普段ものを考えている分野の違いでも芸術性や感性というのは大幅にずれる事があるのだろう。若いころは自分の親の世代のファッションがダサく感じてしまう事があるが、大人になってみると昭和や大正のファッションというのはモダンで非常に魅力的に見えたりもするもので、感性というのは自分の年齢によっても感じ方が変わってくるため、誰に見せたいのか、という事もファッションは考える必要があるのだろう。今現在、シルクハットにステッキを持った紳士などそうそう町で見かけないし、着流しで歩いてる人もほぼ見なくなったが、様々な意味合いで様々な角度からの視点でファッションを楽しむ事が出来れば幸いである。その意味でも相手に「理解を求める」と言ったトミー・ヒルフィガーの価値観というのは2020年以降のファッション業界でも羽ばたいていくのではないだろうか。